秘密主義

今、わたしは23歳だ。

特に理由もないのだけれど、ちゃんとした大人になりたい、と思うことが増えた。誰かに何かを言われたわけではないのに、キャンメイクのマシュマロパウダーをポーチから出すのはためらわれるようになったし、大学生の頃に使っていたレブロンのマットリップは部屋の隅っこに放置するようになった。食器類にまったく興味なんてなかったのに、急にウツワに興味を持ち始めて、いろいろと買い漁るようになった。邦ロックばかり聴いていた学生時代を恥じるかのように、ニュージャズなんかに手を出し始めているし、10000円を超える服にはめったなことで興味を持たなかったのに、アナトミカのマリリンが欲しすぎて困っている。

ちゃんとした大人になろうとすると、どうやら趣味が変わっていくものらしい。少なくともわたしはそうだ。過去にすきだった人やものを懐かしく思う夜はあるけれど、それを狂おしいほどすきだった頃に戻りたいとは思えないのだ。すきだった人は今や単なる男友達だし、ライブや舞台に遠征できるほどの気力や体力はもう無い。それに何より、かつてわたしの人生を明るくしてくれたそれらは、今のわたしにとって必要なものではない、ということを知っている。過去は過去で、今は今だ。

 

だから、わたしは「昔ばなし」が苦手だ。

過去のわたしをよく知る人となら大丈夫。過去の話で盛り上がることができるのだから、そこに苦手も何もあったもんじゃない。あんなことあったよね、あの時の○○はすごく格好良かったよね、そういう話で何時間も花を咲かせられる自信ならある。「昔ばなし」で盛り上がるその瞬間は、過去のわたしが今のわたしに憑依しているから、当時抱いていたときめきを打ち明けることだってできる。過去を知っている友人との「昔ばなし」は、わたしにとってすごく大切なものだ。

でも、今のわたししか知らない人に、「昔ばなし」をするのはとてつもなく気苦労なことに思えてならない。今のわたしと過去のわたしは乖離しすぎているんじゃないか、もしかしたら幻滅されるんじゃないかという不安が、漠然とそこにあるのである。ちょっと考えてみてほしい。ジョン・コルトレーンを流しながらミネストローネを煮込んでいるわたしと、先行上映で号泣しながら推しの名前を噛み殺しているわたしとは、そりゃあ乖離しているだろうよ。ブルータスを読みながらジャスミンティーを飲むわたしと、アニメディアを読みながらリプトンのレモンティーを飲んでいたわたしは同一人物なんだよなんて、一体誰が言えるだろうか。もちろん、二次元がすきだった過去のわたしも、邦ロックや若手俳優やアイドルがすきだった過去のわたしも、だいすきで愛しくてかけがえのない自分自身だ。でも、今のわたししか知らない人が過去のわたしを受け入れてくれるかどうかはわからない。理解してもらえないんじゃないかな、と思ってしまう。

だって、今のわたししか知らない人は、ずっと昔のわたしを知る由がないのだ。わたしは遠い地方まで出てきてしまったので、昔のわたしを知っている人間は、わたししかいないのである。わたしが昔を語らなければ、わたしは「ちゃんとした大人になろうとしているわたし」のままでいられるのだ。レディになるために背伸びをして、日々のちょっとした贅沢を楽しんでいるような、どこにでもいるごく普通の女でいられる。なんなら過去のねつ造だって可能だ。わたしのイメージを、わたしだけで作り上げることが、いとも簡単にできてしまうのである。

 

「昔ばなし」をふいに振られたとき、わたしが固まってしまうのは、「嘘をつくべきか真実を話すべきか」で迷ってしまうからだ。なんだかんだ言いつつも、過去のわたしより今のわたしのほうがよっぽどすき。せっかく積み上げてきたイメージを崩してしまいたくもないし、だからといって、信頼している人に嘘をつきたいわけでもない。だから、ちょっと困った顔をしてうつむきながら、意味ありげにグラスを揺らしてみせる。相手が「言いたくなかったら言わなくてもいいんだけどさ」と言ってくれるのを、いつだって待つ。

そうしているうちに「秘密主義だよね」って言われるようになってしまったけど、まあ、それもそれでアリなんじゃないかなと思っている。付き合っている人に「なんで話そうとしないの」と訊かれたとき、「話しても君とわたしにいいことがないから」って類のことを言ったのだけど、まさにそんな感じ。

過去は過去で、今は今。そうやって生きていけたらいいのに。